今日も山を登って来ました

山登りへの思いやレポートを写真で紹介するブログです

この世界線に一人で

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単身赴任の二年

ある日の夜、夕飯を食べながらネットで単身赴任について検索するとネガティブなワードがたくさん出て来た。

こんな制度おかしい、日本の会社はおかしい、二重生活で家計が苦しい、家のローンを払い家族に送金するだけの毎日、早く帰らせて欲しい、単身赴任制度を廃止して欲しい、会社辞めたい、毎日寂しい、とかいろいろ。

単身赴任の中身は会社によって違うと思うし、目的や条件、赴任先、期間等によって良し悪しはまちまちだと思うけど、確かに間違ってないと思うし否定はしない、けど。

僕は単身赴任の辞令を快く引き受けたし、世の中の単身赴任者の中ではこの状況をそれなりに楽しんでる方だと思う。手当はそこそこ出ているものの、確かに二重生活でそれなりに出費はあるし、富山での快適な生活の為に家財や車など結構投資してしまったから決して得はしてないし、まだ全然元は取れてない。家族の事も一応気にかけているから、こんな生活をずっと続けていていいのかと最近はよく思う様になって来ているし、はっきりとした赴任期間が決まってないのも不安要素の一つだ。

単身赴任生活を続けた結果、僕は今とにかく一人になった。それは会社のせいだし、コロナウィルスで世の中が変わってしまったせいでもあるし、何より自分がそうして来た結果だ。

単身赴任のこの生活とは自分にとって何なのか、なんで山登りばかりしているのか、自分と自問自答を繰り返しながらこの二年間ずっとその答えを考えていた気がする。

 

ストレスと自分

人は生涯の大半を働き続けないと生きていけない。勉強や部活ばかりして友達とつるんでた学生時代なんて人生の中ではほんの数年でしかないんだ。だから働いて単に給料をもらうだけではなく、仕事を楽しめる事が何より重要だとずっと思って来たし、そうなる為に僕は就職してからも理想の仕事を求めて転職を繰り返した。

結果、今の仕事は楽しい。けどそんなに楽ではない。ディスクワークであっても、仕事中も家に帰っても風呂に入っていても仕事の事ばかり考えてる時もあるし、どれだけ早く仕事を片付けても何故か暇になる事は無い。週末もずっと頭をかかえて悩んだりしてる時もある。会社には当然理解できない奴や、話が通じない奴、ある事ない事をチクる奴もいたりして、人間関係とか面倒だと思う事も結構あるし、上司からの無責任な期待や無茶振りにも動じず、関係者からの心無い指摘や意見なんかにも落ち込んだりもする時はあるけど、そんなの気にしていたらキリがない。仕事だから仕方ないんだ。昔の極貧で寝る時間もなかった生活に戻るぐらいなら今の方が数百倍マシ。それに辛くても嫌な思いをしても仕事が楽しいから我慢出来るし、常に前線で仕事をしたいから、なんとかしなきゃって思える。仕事の大変さや苦しみをどう解釈するかは人それぞれだと思う。

今の会社は表向きはコンプライアンスを遵守するホワイト企業だと思うけど、仕事で病んだ人、それで会社を去った人、復帰したけど人格が変わっちゃった人を身近で何人も見て来た。そんな人達を見て、なんでそんな事になるのか、あの人は実はそんなにメンタルが弱かったのかと不思議に思った事はあったけど、実は僕も例外ではなかったみたい。

30代半ばにラッキーな事にある大きなプロジェクトの担当になり、その頃からタバコや飲み会の回数は増えて激太りし、ある日突然体中に蕁麻疹が出始めて毎日止まらなくなった。すると今度は肺が聞いたことのない名前の病にも犯されてしまったり。自分的には辛くもなんともないと思っていたけど、多分仕事の大変さにメンタルよりもフィジカルが反応したのだろうか。あの頃は仕事が大変な上に、ウチの子も小さくてとにかく毎日イライラしていたし、周りの人にも厳しく当たっていた気がする。色々な事を考え過ぎて頭がもげそうだったけど、おかげで自分も大きく成長出来たし、入社してから一番仕事にやり甲斐があった、と感じていた。でも仕事が例え楽しくても、その楽しさとはいろんなストレスとのトレードオフなんだと分かって、あの時からストレスと言う得体のしれない見えない何かをずっと意識していた気がする。

 

一人の暮らし

富山での生活は家事を除けば正直楽だった。仕事をしている時意外は誰にも気を使う必要がない。家でダラダラしていても、ボーッとネットを見ていても、何していても誰からも何も言われないし、どう時間を使おうと自分の勝手だ。

家族と過ごす他愛のない日常、会社の同僚と居酒屋とか立ち飲み屋に行き、時にはキャバクラとかにも行ったりして終電までどうでもいい話で盛り上がっていた会社帰り。休日のワイワイとみんなで登った山登り。あの日々はいったいなんだったのか。今では遠い記憶になりつつある。

こんなご時世だからか、会社で同僚や部下とのコミュニケーションは最小限に留める様にしていたし、幸いな事に富山に来てからは車通勤のせいか気軽に飲みに行こうなんて話にならない。コロナ禍と言う事も追い討ちをかけて飲み会と言う物はほぼ壊滅して、プライベートでも外食はしなくなり、自宅でウイスキーと炭酸水でハイボールを作り簡単な料理かスーパーの惣菜を食べている。最初はこんな生活がちょっと寒々しくて息苦しかったりもしたけど、慣れたらお金もかからないし、人間関係のトラブルや煩わしさ、それにリスクも減らせてこっちの方が楽で安心だったりする事が分かった。他人に極力無関心になり、他人の行動を客観的に見るように心掛ける事で、余計な気を遣わなくなり、そのおかげで怒りや感情をコントロール出来る様になってきた。そして以前程イライラもしなくなった。これがアンガーマネージメントって言うものなのかと悟ってみたり。

しかも富山に来てから殆どテレワークをしていて、二年目も相変わらず年の三分の一ぐらいはテレワークをしてたから、単身赴任後に人と直接会って話す機会は激減した。

そんな毎日を過ごしながら、週末が来ると僕は山に向かった。

 

無との遭遇

富山に来た目的は半分仕事で半分山登りだった。やはり山や海が身近にある生活は本当に素晴らしい。東京に住んでいたらこんな毎日は絶対に味わえない。海沿いに借りた家は、洒落っ気は皆無の良くある普通の賃貸アパートだけど、広くてなかなか快適。しかも窓から立山や海が見えるから毎日別荘に暮している様な感覚だった。休日は山に行くか、日本海を眺めながら海沿いをランニング。景色や空気がいいのは当たり前だけど、何より毎週フラっと北アルプスに行けて、その自然の中に身を委ねられる事は、期待していた以上に幸せな事だった。

僕が山を登る主な目的は、健康の為とピークハントだ。東京にいる時は遠くてなかなか北アルプスに行けなかったから、富山にいる間に出来るだけ多くの未踏の山を登っておきたい。そんな思いで週末が来ると僕は北アルプスへ向かった。北アルプスはどこを登っても、どこを切り取っても、壮大で想像を超えた眺望が広がっている。またその絶景に包まれたくて、僕はどんどん北アルプスの虜になった。しかしその代わりにハードなルートばかりでどれも甘くなく、毎回結構しんどかった。

そんなある日、延々と続く急登をフラフラになりながら登っていると、僕は頭の中が「無」の状態になっている事に気づいた。無とは多分頭が何も思考をしてない状態の事で、体は勝手に動いて歩き続けていた。頭が無の領域に近づけは近づく程、自分の身体と山との境界線が曖昧になっていき、大自然と同化してしているかの様な不思議な感覚になった。それはなんとも言えない心地の良い体験だった。ハードで苦しい登山であればあるほど頭の中の無の状態は訪れた。

仕事とかで嫌な事があっても、山登りで自分をとことん追い込みながら頭の中を無にして空っぽにする事で、色んな事が気にならなくなった。そうする事でまた仕事を一週間を頑張る事が出来、前向きで穏やかな毎日を過ごせている様な気がした。

そしてまた週末が来ると、また僕は無を求めて再び山に向かった。

 

誰かと一緒に

山登りを始めた頃は基本はソロで登っていて、それ以外は家族や会社の同僚と山を登っていたけど、SNSを中心に様々な出会いがあり、だんだん色んな人と山を登る様になっていた。名前も素性も良く知らない、ニックネームとかあだ名で呼び合う山友達。中にはアレって言う人もいたけど、山と言う趣味が共通なせいか基本的に皆気の合う良い人達ばかりで、山友との山登りはもちろん楽しかったし、山友から様々な事を学ぶ事が出来たし、少なからず影響も受けた。それに一人で登るより誰か登った方が安心感があった。やっぱり山は一人で登るより、誰かと登った方が楽しいし安全な気もして、富山に来てからは今後の登山のスキルアップの為にも山岳会に入る事も少し考え始めていた。

しかし、山登りによる頭の無の状態を意識する様になってからは、誰かと一緒に山を登る事により頭を無にする事が出来ず、それを少し気にし始めていて、気付くと無の状態どころか別に考えなくても良い様な事も色々気にしていたりした。相手の思考、価値観、山の登り方、歩くペースとか色々、本当に僕の悪いクセであり、変な性格だ。

誰かと山に行き始めると、また一緒に行こうとなるし、また誘わないとって思う様になるけど、相手と予定を合わせたりするのは地味に大変だし、勝手に自分だけであの山に行ってしまっていいのかとか、この山はあの人と一緒に行こうと約束していたんじゃないのかとか気にしたり遠慮したりし始める。それなのに気を遣って誘っても断られる事もあったり、逆に誘われなかったりして虚しくなったりもする。そして自分がいない時の山友の行動や山の行き先を気にしては一喜一憂してみたりもした。別にこんな事は良くある普通の事なんだけど、ソロでは考えなくて良かったどうでもいい事を、誰かと登るようになってからは、色々気にして考える様になってしまい、その状態に少し疲れ始めていた。

そしてある日思った、自分は一体何の為に山を登っているんだろう。これじゃあ仕事をしてる時とそんなに変わらない。山を登る目的は人それぞれだと思うけど、少なくとも今の自分は山に遊びに行っているつもりはなく、山を登る目的は頭を無にして空っぽにする事であって、日々のストレスから解放されて静かで平穏な日々を過ごす為じゃなかったのか。

僕はその事を思い出すと、やっぱり一人で山に行かないとダメなのかと言う気持ちに自然になっていった。

 

一人の生活

良く単身赴任になって一人で寂しくないのかと聞かれる。寂しくないって言ったら嘘になるかもしれないけど、富山に来て寂しいと感じたのは最初の数日で、何故かこの状況にすぐに慣れていた。一人が平気になったというか、することが意外と沢山あって、寂しいと感じる暇がなかったのかも。でもやってる事は毎日同じで、特別な事は特にやってない。友達と遊んでいるわけもなくて、自己啓発の為に習い事や勉強をしてるわけでもない。

仕事から帰ると家事と飯の準備、それが終わったら山の写真の整理とブログ。一日のノルマが全て終わるとシャワーを浴びて酒を飲みながら、音楽を聴きながら、次の山の予定を考えながら、気付くと寝てる。週末になるとまた山に向かい、その翌日は山に行った片付けをして軽くランニングしてサウナに行って一週間が終わる。そして月に一回東京に帰省。これだけで結構いっぱいいっぱいで、正直時間は足りてない。

もし単身赴任をしたらきっと寂しすぎるだろうから、テレビゲームでも買ったり、ウサギでも飼ったり、友達と飲みに行ったり、遊びに行ったり、たまには映画でも見に行ったりして、もしかしたら浮気とかもありえるのかと妄想していたこともあったけど、フタを開けたらそんな生活はどこにもなく、人に会う事も無く、仕事と一人でやらなきゃいけない事に日々追われていて、こうやって毎日が凄い速さで過ぎていった。

 

人生の答え合わせ

僕はこんな短調な毎日の中で、常に自分と向き合って、今日起きた事やこれまで起きた色んな事を整理して反省して物事の断捨離を自然に繰り返した。その作業によって自身の思考をシンプルにして、自分にとって不要な悩みや都合の悪い問題はぐしゃぐしゃに丸めて週末に綺麗サッパリ山で捨てる。

決して一人の自分を肯定して慰めようとしてるわけではないし、こんな自分の行動や思考が正しいとも思ってない。これは、この数年間僕がずっと抱えて来たストレスと言う見えない何者から解放される為の、自己防衛本能みたいな物なのかも、と思ってみたり。

今思うと自分の30代は仕事しかする事が無くて、仕事が趣味とかほざいていて、仕事に没頭しながら楽しんでいた反面、同時に心がジワジワと病んでいた。今も大して変わらないけど、性格もねじ曲がってしまってお世辞にもいい奴とは言えなかったし、色んな大切な事がなんとなく分からなくなってしまい、結果病んでる事にも気付いてなかった。でもある時からこのままではまずいと危険信号みたいなモノを感じ始めて、とりあえず何かを変えようと思って山を登りを始めた。

僕は今、人生で最も一人であり、そして人生で一番静かで穏やかな生活を送っている。

この二年で生活や思考が一変した。東京にいた時とは別人になってしまったかもしれないし、そしてよく過去を振り返る様になった。なんで今自分はここにいるのか、あの時した判断や選択は正解だったのか、もしあの時こうしていればどうなっていたのだろう、とか、気付くと当てのない答えを求めて自問自答を繰り返している時がある。例えるなら途方もないピースのジグゾーパズルを完成させる様な作業で、これまで歩んで来た人生の答え合わせの様にも思えてくる。

単身赴任で一人になった時、どう自分が変化するのか、趣味である山登りとどう向かい合うのか、せっかくだからその記録を残そうと思った。それで日記代わりにブログを始めた。今時ブログなんて誰も見てくれないだろうし、手軽にやればすぐにやめるのが目に見えていたから、やめない様にあえて最初から有料版で始めたし、その覚悟としてブログ用にカメラも買った。とりあえず100回書くまでは絶対続ける事を決心した。あと、アルプスの色んな山を計画通りにちゃんと登りきる為に、ランニングも嫌々始めたりみたりして、ただそれだけだと流石に辛過ぎるから疲れきった心身を癒す為に温泉やサウナにもハマってみた。

単身赴任になってなかったら、きっとこんな事やらなかったと思うし、やろうともしなかっただろう。

 

家族との時間

月に一回東京の家族の元に戻ると、やはり家はいいし、家族と過ごす時間は楽しい。そしてウサギがかわいい。そう感じれると自分の感覚はまだ正常なんだなと分かり、毎回ホッとした。

毎日一人で自分よがりな偏った思考や生活ばかりしていると、将来東京に戻った時に家族と一緒に暮らせない人間になってしまってるんじゃないかと不安になる時もあるけど、家族の元に帰ってみるとまだ全然そんな事はなくて安心する。自宅で数日過ごした後に富山に戻る時は、また仕事と山登りばかりの一人の生活に戻るのかと、それを想像して憂鬱な気分にもなったりした。こんな孤独への思い込みの暴走を止めてくれるのはやはり家族なんだと帰省する度に感じた。僕が家族と二度と住めなくなる前に東京に戻して欲しいと、少しづつ思う様になってきているのかも。

でも僕のそんな不安とは裏腹に、妻も娘も僕に家に帰って来て欲しいとは特に言って来ないから、もしかしたら僕がいないこの生活の方がいいと思っているのかもしれない。

僕が家を去ってから、妻は仕事をしながらも語学の勉強を始めたり、夢だったお菓子屋を実現する為にお菓子作りを本格的にやっている。小学生だった娘は中学生になって見違える程背が伸びて二年前とは別人になっていた。勉強と部活に追われる毎日を送りながらも、時間を見つけては趣味のお絵描きに没頭する毎日。二人とも僕が家にいた時以上に色々な事をやっていて、流石うちの家族だなと安心している。

もしかしたら自分だけでなく家族にとっても、こう言う状況や時間は必要だったのかもしれない。

 

この世界線に一人で

この世界線にやってきて二年が過ぎた。最初の一年は違う世界に来てしまった事を疑う暇も無く、この非現実的な生活を受け入れようと必死だった。そして僕は自宅に篭って仕事をするか、山登りぐらいしかする事を与えられず、一年中北アルプスや様々な山を巡った。結果少し強くなれた反面、自分弱さもたくさん知った。それでなんとか強くなろうとして、もがいてみたんだけど、そのストイックでエンターテイメント性はゼロの毎日に少し疲れてしまった。

そして二年目、疲れた僕はこの偏った世界から少しでも抜け出そうとして、その方法を模索したんだけどそれは徒労に終わり、非現実的で短調な毎日は一年目とほぼ変わず継続された。そして僕は一人の自分をより深めていった。自分にとって平和で穏やかな状態とは何なのか、仕事、家族、人間関係、について過去を振り返りながら、必要な物と不必要な物の分別作業を繰り返した。一人になり思考をシンプルにして研ぎ澄ませていく生活は、寂しさや孤独を麻痺させて心地良かったりもしたけど、どんどん一人の世界に染まり、それが当たり前になって行く自分に少し不安を感じ始めていたりもした。

元の世界に戻らなくていいのですか

と誰かが語りかけてくる。その言葉を聞いた時、もしかしたら目が覚めたら元の世界に戻っているんじゃないかと思った。

仮に単身赴任生活やコロナ禍の無い元の世界線に戻れたとして、今の自分はいったりどうなってしまうのだろう。また混沌としてストレスと共存するあの生活に戻れと言うのか。

たとえ毎日一人でも、毎日が非現実的で短調だったとしても、大好きな山登りばかりしながら、静かで穏やかな生活がここにはあるじゃないか。

 

まだ寒い日が続いているけど、春も徐々に近づいて来て、最近会社で次年度の方針や体制が発表された。もちろん今年も僕の単身赴任は継続される。コロナ禍で変わってしまった世の中はもう元には戻らないと思うけど、三年目はそれも少し落ち着いて、この二年間とは少し違った世界が始まるといいのにな。

北アルプスの山も大体登ってしまい、もういくつか登れば主要な山は踏破できる。地味に辛かったブログもこれでなんとか目標の100投稿目を達成出来た。山登りは好きだし健康の為に続けて行きたいけど、今はちょっと疲れ気味かも。

この世界線で、これまでの二年間とは違った生活を送る為には一体何をすればいいんだろうか。単純に山登りの回数を減らして他の事をすれば済む問題なんだろうか。一年前に引き続き未だ良いプランを見つける事ができてない。

それにしてもこの単身赴任生活は後何年続くんだろう。